sazmazda’s blog

浅学非才

生麦に行く

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シフトの都合で盆休暇を前取りしたんで、主にインドアでゲーム三昧、終戦特集三昧で過ごしてはいたが、これでは遺憾と一念発起。
「!そうだ、生麦に行こう。」と思いつき、昼過ぎて京急で向かう。
思えば、東京・神奈川には、断続的に都合8年ほど生活しているにも拘わらず、鹿児島の出の身でありながら生麦を訪れていなかったのは、落ち度である。
訪ねるとして、事件が起こったのは8月21日であるから時期的にもグッドである。
▼追浜から乗った普通電車は金沢文庫から快特に変わり横浜まで乗り換えなくゴー!
横浜で再び普通電車に乗り換え、コツコツと各停で刻む。
生麦事件は薩英戦争の直接原因である。
私見ではあるが、薩英戦争は、幕末のRMA(軍事革命)の引き金となった。
薩英戦争が無ければ、薩英の接近は無く、最新兵器の長州への供給も無く、戊申戦争の軍事的勝利も無かった。
生麦駅に降り、とりあえずモバゲー「しろつく」の位置通報で小判270枚ゲットした後、現場方面である東に向かう。
付近には、やけに焼肉の香りが漂っている。
見回すと、確かに焼肉屋が多い。
東海道であった国道15号に出る交差点近くの蕎麦屋で冷やしとろろ納豆蕎麦(950円)を食す。
念のためメニューに「冷や麦」はないかと見たが見当たらなかった。
「…生麦で冷や麦を」と、自作自演ヲヤジギャグパフォーマンスをと思ったが不発…。
▼交差点を右に折れ、横浜方面に向かって緩いカーブの国道を500メートルほど歩くと、ガードの手前に事件現場の碑があった。
横浜市が管理している。
写真を4、5枚撮って現場を後にする。

◎写真1
品川方面から現場を臨む。ガード手前左側に記念碑がある。
◎写真2
記念碑全般
◎写真3
説明板
◎写真4
記念碑本体

▼裏手にはキリンビールの工場があり、見学コースも設定されているらしい。
▼正面にはバス停があり「生麦」とだけある。
「…記念碑前」とか、余計な記載はなく、こここそが「生麦」であると主張しているようである。
▼と、看板の片隅に「生麦事件記念館」の案内が…。
さっきの蕎麦屋付近のようであるので通ってみたが「私設生麦事件記念館」となっていたので、なんとなく面倒臭くなってスルーした。
▼駅への帰り道は、方向は判っているので来た道と重ならない別の路地などを辿る。